月夜のひまつぶし

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FGO【ぐだぐだ帝都聖杯奇譚】の帝都七本槍の元ネタについて

投稿日:2018年6月28日 更新日: 閲覧数:755

FGO【ぐだぐだ帝都聖杯奇譚】の帝都七本槍の元ネタについて

この記事を読むのに必要な時間は約 10 分です。

FGOの期間限定イベント、「ぐだぐだ帝都聖杯奇譚」を進めていくと登場する帝都七本槍の元ネタについてです。
ちょっとネタバレな気もしますが、6月27日にイベントが終了しているので書いてしまいます。
正確には、「もっとぐだぐだ帝都聖杯奇譚 リベンジオブ淀」で登場します。

帝都七本鎗→賤ヶ岳七本鎗

帝都七本槍のメンツを見て、そして淀こと茶々の配下であることを考えると、恐らく賤ヶ岳七本槍が元ネタでしょう。
賤ヶ岳の戦いで活躍した7人の武将を讃え、賤ヶ岳七本鎗と呼ばれるようになりました。
本当は九本槍だった、という話もありますが今回はあくまでも「ぐだぐだ帝都聖杯奇譚」の元ネタについてなので、7人について見ていきましょう。

賤ヶ岳の戦い

1583年4月、本能寺の変の翌年に起きました。
豊臣秀吉と柴田勝家の争いであり、ともに信長の腹心であった2人が戦うことになったのは、信長の後継者を誰にするのか、ということで揉めたのが最初のきっかけでした。
秀吉は信長の長男・信忠の長男、つまり信長の孫を推し、勝家は信長の三男・信孝を推していました。
信長の長男・信忠が健在であれば、揉めることはなかったのかもしれません。
ですが、信忠は本能寺の変の際に京都におり、切腹してしまいました。

結局、他の重鎮達も秀吉と同じく信長の孫を推したので、勝家は一旦はそれに従います。(清州会議にて)
しかしこの後、秀吉が他の有力武将達と組んだことに危機感を覚えた信孝が勝家らと反秀吉陣営を形成し、織田家の重臣達は2つの陣営に分かれて対立することに。
最終的には清州会議での決定も秀吉によって破棄され、賤ヶ岳の戦いへとつながっていくのです。

信長の後継者について揉めた事件→清州会議

福島エミノリ→福島正則

福島エミノリ/FGOぐだぐだ帝都聖杯奇譚より

福島エミノリ/FGOぐだぐだ帝都聖杯奇譚より


stay nightのアーチャーさんことエミヤさんが扮している?のが、福島正則です。
秀吉の母親の姉妹が正則の母であり、秀吉とは従兄弟にあたります。
その縁で、幼い頃から秀吉に仕えていました。
賤ヶ岳の戦いでは一番槍として武勲をあげ、最も活躍したと言われています。
朝鮮出兵にも参加していましたが、その時に石田三成との仲が悪くなり、秀吉の死後は徳川につきました。
酒癖が悪く、知性より武力というイメージの強い人ですが、何故エミヤさんがこの位置なんでしょう……。

加藤書文→加藤清正

加藤書文/FGOぐだぐだ帝都聖杯奇譚より

加藤書文/FGOぐだぐだ帝都聖杯奇譚より


李書文が担当しているのが、加藤清正です。
刀鍛冶の子として生まれた清正ですが、3歳で父親を亡くしています。
母親が秀吉の親戚だったことが縁で、秀吉に仕えるように。
賤ヶ岳の戦いでは敵将の1人を討ち取っています。
朝鮮出兵にも参加し、朝鮮の人々に恐れられたと言います。
その時にセロリを日本に初めて持ち込んだ人とされていて、セロリの異名の1つには「清正人参」というものがあります。
実は戦うことよりも民政や財務に長けていた、というのが最近の清正像のようです。
秀吉の死後は徳川家につき、熊本を治めています。

加藤メディ明→加藤嘉明

加藤メディ明/FGOぐだぐだ帝都聖杯奇譚より

加藤メディ明/FGOぐだぐだ帝都聖杯奇譚より


メディアさんが担当するのは加藤嘉明。
父親は家康に仕えていましたが、三河で一向一揆が起きた時に一向一揆側について負けてしまい、逃げてあちこちを点々とすることに。
最終的に落ち着いたのが秀吉の元でした。
嘉明は馬の行商を手伝っていたところ、秀吉の家臣に才能があるということで彼の養子になることに。
(正確には養子ではなく猶子ですが、分かりにくいので養子で)
秀吉は最初、嘉明を信長の四男で自らの養子とした秀勝に仕えさせますが、嘉明は勝手に戦に参戦してしまいます。
秀勝は初陣を飾っておらず、主君より先に無断で初陣を飾ったことで秀吉の正妻が激怒しました。
しかし、秀吉はそのやる気を買って自分の直接の臣下として迎えることにします。
嘉明はやる気があっただけでなく実力もあり、その後すぐに15歳ながらそれなりの戦功をあげています。
その後も様々な戦で多くの手柄を立てており、賤ヶ岳の戦いもその1つ。
石田三成と対立し、大阪夏の陣では徳川方について戦っています。
陸奥会津の初代藩主となりました。

脇坂カツハル→脇坂安治

脇坂カツハル/FGOぐだぐだ帝都聖杯奇譚より

脇坂カツハル/FGOぐだぐだ帝都聖杯奇譚より


織田信勝が担当するのは脇坂安治です。
元々は浅井長政に仕えていましたが、浅井家滅亡の後は織田家の臣下となって明智光秀に仕えます。
その後、秀吉に頼み込んで秀吉に仕えるようになり、賤ヶ岳の戦いで活躍して七本槍の1人に。
七本槍では最年長の人物で、様々な手柄を立てて水軍を率いるようになります。
秀吉が亡くなると家康につき、関が原の戦いでも家康側で戦うつもりでしたが、大阪に滞在中に三成が挙兵したのでしかたなく西軍として参戦したとか。
そんな無理して参戦しなくても良いのではと思いますが、小早川秀秋が寝返ると安治も家康側として戦い、西軍に打撃を与えています。
関が原の戦いでは、戦が始まって寝返った武将たちは外様大名になったり、十分な領地をもらえなかったりしましたが、安治は戦の前から味方だと示していたのでそういったことはなかったようです。
最終的には今の愛媛の辺り、伊予国大洲藩主となりました。

平野えっちゃん→平野長泰

平野えっちゃん/FGOぐだぐだ帝都聖杯奇譚より

平野えっちゃん/FGOぐだぐだ帝都聖杯奇譚より


謎のヒロインXオルタが担当するのは平野長泰です。
平野長治の三男として生まれ、父と同様に秀吉に仕えていました。
賤ヶ岳の戦いで活躍して七本槍に。
秀吉の死後は徳川について秀忠に仕えますが、大阪の陣ではかつての恩に報いようとして豊臣側に合流しようとし、家康に直訴までしていますが結局は江戸で留守を預かることになります。
その後は大人しくなり、秀忠の臣下として仕えて家光の時代まで生きました。
実は賤ヶ岳七本槍の中で唯一、大名になれなかった人物です。

片桐メドゥ元→片桐且元

片桐メドゥ元/FGOぐだぐだ帝都聖杯奇譚より

片桐メドゥ元/FGOぐだぐだ帝都聖杯奇譚より


メドゥーサが担当するのは片桐且元。
長らく助左と呼ばれていて、且元と名乗り始めたのは関ヶ原の戦いが始まる頃だそうです。
元々は浅井家の下にいた人で、浅井家滅亡の後に秀吉に仕えるようになりました。
秀吉の死後も豊臣家に仕え続けていましたが、家康とも仲良くしていました。
関が原の戦いでは七本槍としては珍しく、石田三成について戦いました。
しかし、方広寺鐘銘事件が起きると、大坂を出て家康に仕えるようになります。
大阪の陣では家康について戦っています。
後に今の奈良県の辺り、大和国竜田の藩主となりました。

方広寺鐘銘事件→家康が豊臣家に作らせた鐘にあった文字、「国家安康」で家康の名前を分断して徳川を呪っている、「君臣豊楽」で豊臣の繁栄を祈っていると言いがかりをつけ、大阪の陣のきっかけとも言われる事件

糠谷ヒロインX→糟谷武則

糠谷ヒロインX/FGOぐだぐだ帝都聖杯奇譚より

糠谷ヒロインX/FGOぐだぐだ帝都聖杯奇譚より


謎のヒロインXが担当するのは糟屋武則(かすやたけのり)です。
この人は出自について複数の説があり、はっきりしないところもあります。
ただ、早い段階から秀吉に仕えていたのは確かで、賤ヶ岳の戦いでも活躍しました。
秀吉がなくなってからも豊臣に仕え、関ヶ原で負けて領地を没収されています。
その後の武則についても様々な説があり、はっきりしたことは分かりません。
関が原の後に許されたとか、実は関ヶ原より前に毒殺されていたとか、色々言われているようです。

まとめ

七本鎗について見てきましたが、担当しているサーヴァントと元々の七本鎗との間に特に関連はなさそうですよね。
とりあえず、元ネタになった武将について、「あ、こんな人だったんだー」と何となくの理解の一助となっていれば嬉しいです。

そしてもし、「いや、これはこういう関係があるぞ!」というお話があれば是非教えていただきたいです。



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FGO【ぐだぐだ帝都聖杯奇譚】の帝都七本槍の元ネタについて
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